映画
2012年03月17日
「リサイクルかあちゃん」あらすじ、葉七はなこ作
皆さん、お久しぶりです、私は風邪と喘息に苦しんでいる今日この頃です。
いつかは、映画化したい「リサイクルかあちゃん」とても恥ずかしいのですが、私と母の半生を描いた実話物語です。少し自分の事を親孝行者のような良い人物で書いている部分もあるかも知れませんが?
その点はお許し下さい。
あらすじをアップしておきます。
これを、これから脚本にしなければいけないのですが映画化実現したいですね。
『リサイクルかあちゃん』
(あらすじ)
主人公、葉月(14歳)は中学3年生、学校ではバスケットボール部に所属していて、 活発な女の子です。
葉月の母陽子(51歳)は、葉月を30歳後半で出産したこともあり50歳過ぎていたが、明るくて働き者で男まさりな大阪のおばちゃんです。
大学生で兄の真一(22歳)が、乗っていた男性用前かがみギア付きサイクリング車が、サビ付いてボロボロになり乗れなくなった為、新品自転車に乗り換えた。
ある日真一が、そのサイクリング車を大型ゴミに出している。
それを見つけたおかあちゃんは、「もったいない私が乗る」と言って、
錆付いた男性用サイクリング車を「ほら、まだ乗れるやん」と自慢げに乗ってみせた。
翌日前かがみで、競輪選手みたいに自転車に乗り仕事に出かけるおかあちゃんは、 男勝りで近所でも有名人。
また、葉月が捨てた穴のあいた洋服もおかあちゃんがつぎはぎはぎして着るなど、戦争を経験したおかあちゃんは、物を大切にする事を子供達に教えてくれた。
おかあちゃんとは反対で、おとなしくて繊細なおとうちゃん朝夫(56歳)は、
木登りが苦手なため、おかあちゃんがいつも木に登り庭の木を綺麗に切っていました。
その下で切った木の枝を拾いゴミ袋に入れるおとうちゃん。
だが、思春期を迎えた葉月はそんな男勝りなおかあちゃんの存在が少し恥ずかしかった。
高校に入学した葉月は特に家庭に問題はなかったのだが、不良グループに憧れ、
誘われるがまま当時、流行ったヤンキーになった。
髪は茶髪、ロングスカートを履き遊びまくりタバコ、酒、けんかなど事件を起こし おかあちゃんとおとうちゃんに、多大な迷惑をかける。
葉月が高校3年生の時、兄は大学を卒業し就職で地方に転勤になり、
葉月とおかあちゃん、おとうちゃんの3人の生活が始まる。
ある休日の朝、ヤンキーグループの友達と約束していた葉月が出かけようとした時に 「ギャャー」と大声で叫ぶおかあちゃんの声が聞こえる、
ビックリして部屋に行くとおかあちゃんが髪の毛を振り乱し消火器を振り回している。
その横で慌てふためいているおとうちゃんは、
消火器の粉が頭からかかり髪の毛も服も眼鏡も真っ白になってしまっている。
どうやらおかあちゃんが消火器につまづいてしまい噴射して止め方がわからず、 お父ちゃんと大騒ぎになって止めようとしていた様子。
出掛けようと思って派手な服を着ていた葉月にも粉が飛び散り、
3人は、粉まみれになりながら消火器を止めようとした。
真っ白になっている部屋を3人で片付けながら葉月は、
ふとおかあちゃんとおとうちゃんの姿を見て、年老いて行く両親に迷惑ばかりかけている自分の事が情けなくなって来た。
その後、葉月は少し真面目になり、高校を卒業と同時にメーカーの企業に就職する、人並みに恋をするが、男運が悪くて最悪な男とばかり出会い独身生活を送る、 優しかったおとうちゃんも、葉月の花嫁姿を見ることもなく60歳過ぎで他界してしまった。
おとうちゃんが死んでしまい寂しくて悲しい毎日だが、おかあちゃんは皆の前では、 決して泣かなかった、いつでも強いおかあちゃんは葉月の一番大切な人でした。
おかあちゃんと葉月の2人の生活が始まる、一軒家を売って心機一転
新しいマンションで2人暮らしをする。ショッピングや旅行といつも一緒で仲の良い母娘でした。
引越ししたマンションの向いにはボロボロアパートがポッンと建ってある。
おかあちゃんは、基本的に誰とでも仲良くなるのですが、そこに住んでいる一人暮らしのおじいちゃんと知り合い話をするうちに身寄りの無い独居の方で心臓が弱いことがわかる。
おかあちゃんは、そのおじいちゃんに、レトルトのお粥などを差し入れしたりとても、 気にかけていました。
蝉の鳴き声が鳴り響く暑い夏、おじいちゃんは部屋でひとり寂しく孤独死していた。
悲しみを堪えきれず泣き出すおかあちゃんに、葉月は昔は勝気だったおかあちゃんも今は、 気の弱いおばあちゃんで、自分がおかあちゃんを守らなければいけないと心に決める。
心身ともに弱くなって老いていくおかあちゃん。以前から、胆石があって取り除いた方が良いと言われいていたが、検査で胆嚢にポリープがみつかる。胆嚢ごと摘出する手術に変更になった。手術で取り除いたポリープは残念ながら悪性でステージ3と言う進行している癌でしたが、心臓も悪く肝硬変も併発しているおかあちゃんには何の治療もできず。おかあちゃんが心配するのを察してポリープは良性だと嘘をついた。その後も病院に通いCTの検査も年に一度は受けて何事もなく平穏な毎日が過ぎていく。
3年後のある朝おかあちゃんが、「葉月 、葉月」と叫んでいる声を聞いて、
目覚めて慌てて部屋を出るとおかあちゃんが、廊下で倒れていた。酷い高熱で病院に連れて行くが脚も腫上がりパンパンになっていた。病院の帰りタクシーを降りたあとおかあちゃんは、マンションの前から歩くことが出来なくなり、とても親切なタクシーのおじさんがおんぶしてマンションのエレベーターまで連れて行ってくれたが、その後かあちゃんはまったく歩けなくなってしまい。寝たきりの状態になってしまった。病院での検査の結果は、肝硬変が進行していて脚に浮腫が出来水がたまっているとの事でした。入院はせずに自宅から病院に通うことになりましたが、おかあちゃんは歩けないので在宅介護の準備に慌てて介護申請を市役所に行きケアマネージャーさんを紹介してもらいました。要介護5のおかあちゃんは、色々なプランを立ててもらい、ケアマネージャーさんも介護用品の方もとても親切だったので葉月は安心しました。
車椅子やベットなどの準備をして在宅介護の準備が整いました。
寝たきりのかあちゃんの横で寝起きをして、おしめを換えたり食事を食べさせたり、車椅子で病院に連れて行ったり、葉月は大変な毎日を送っていました。さほど裕福でもなかったので、かあちゃんは子育てをしながら寝る間もなくずっと働いて育ててくれました、親に迷惑ばかりかけて来て今しか、おかあちゃんに恩返しが出来ないと思い葉月は一人で不安な毎日を過ごしながら介護に明け暮れました。
かあちゃんも、寝ているばかりではなく歩けるようになる為に努力をしました。車椅子でデイサービスに通いそこでリハビリをしたり、自宅では葉月に手伝ってもらいながら歩行器で歩くように練習しました。おかあちゃんが起き上がれるようになったので、ベットの横にポータブルトイレを置いて葉月が手伝いながらトイレが出来るようになりましたが、おかあちゃんは、たまに高熱を出して倒れるのでまだまだ安心出来ず、常に傍にいなければいけませんでした。
1ヶ月に1度は大阪の総合病院に介護タクシーで行き、週2回は自宅近所の町医者に肝臓の注射を射ちに行きました。おかあちゃんの車椅子を押して近所の待ち医者に行く二人、いつもの道を通り、近所の人に会うとおかあちゃんはお喋りが止まらない、車椅子に乗っていてもお喋りは大好きでそんな明るいおかあちゃんは近所でも人気者でした。その後、おかあちゃんの努力もあり4ヶ月位で少しづつ歩けるようになり、年末を迎え無事に正月を迎えられました。その年の正月には、葉月と2人で京都の温泉に行き葉月に支えられながらも気持ち良さそうに温泉に入ったり、翌日には2人で初詣も行きました。手を繋いでおかあちゃんを支えながら歩く仲の良い親子だった。楽しい正月もあっという間に過ぎて桜のシーズンを迎える、いつもの町医者の病院に行く途中の公園では桜がとても綺麗だ。
葉月に支えられてゆっくり歩いているおかあちゃんも桜をみてとても嬉しそうだった。その後5月のおかあちゃんの誕生日を無事に迎える。葉月が作ったケーキのロウソクを吹き消すおかあちゃん、楽しい誕生日を迎えた。そして、母の日には葉月が制作した母に贈る歌「かあさんのCD」をプレゼントした。その歌を聴いたおかあちゃんは、「私は、世界一幸せ者だ」と泣いて喜んでくれました。
楽しい日々も束の間数日後、おかあちゃんの体調が急変した。今までは食欲もあり食べれていたのですが、食べても夜になるともどしてしまう、そんな日が続き大阪の総合病院に行く。思いがけない検査の結果は、3年前に手術をした胆嚢癌が食道に転移していると葉月に告げられまた、あと1年か半年の命だと告げられた。年に1回はCTの検査もしていたのですが、おかあちゃんの癌は臓器にしんずいして広がっていたようで検査でもわからなかったようです。
葉月は、目の前が真っ暗になり震えが止まらなくなった。ずっと2人で暮らしてきて、おかあちゃんが居ない生活なんて考えただけで気が狂いそうだ、おかあちゃんとの別れは自分の人生で一番辛く悲しいことでもあり、別れの日を考えると食事もできないし、夜も眠れなく毎日泣いてばかりいた。
東京に住んでいる兄や叔母さん友達などに、励まされて少しづつ前向きになろうと勤め、自分がしっかりしなければおかあちゃんに気付かれてしまうと意を決してわざと明るく振舞う。
おかあちゃんが最後の日まで心配なく心地よく過ごせるようにしなければと心に誓う。
おかあちゃんは、しばらく入院する事になり鼻からくだを通して胃にたまった異物を排出して、食事が出来るようになる手術をした。手術も無事終わり
その後、おかあちゃんは食事が出来るようになり、少し体力も回復したので退院する事になったが、葉月にとってはまた不安な在宅介護が始まった。
葉月は友達から聞いた癌に効果的な、野菜のゲルソンジュースをジューサーで毎朝作っておかあちゃんい飲ませたり、癌に効くという健康食品を調べて少しづつ食事に取りいれるようにした。また、一人でおかあちゃんの故郷の岡山までお墓参りに行きご先祖様におかあちゃんを助けて下さいと何度もお祈りました。
おかあちゃんには、癌の事は内緒にしながら一生懸命介護する葉月。
そんな一人で頑張っている、葉月の姿を見ていて心苦しく思った、
訪問介護の人達が、葉月に一通の励ましの手紙を送る
それを読んだ葉月の目に一筋の涙が零れ落ちる・・・
手紙には、「おかあさんに癌と言う事を直向きに隠して、一人で介護をされているお嬢さんの気持ちを考えると、とても辛くて筆を取りました。気が休まる暇もないと思いますが、私達でよければいつでもご相談に乗りますのでお電話かメールを下さいね」と言う内容でした。
葉月は、色々な人に励まされて支えられている事に感謝した。癌を克服した友達からも「医者の余命宣告など気にしないで、おかあさんの生命力を信じてあげて最後まで諦めないで」と励まされた。その後、おかあちゃんは何度も入退院を繰り返し、癌は確実におかあちゃんの身体を蝕んで行った。腹水が溜まりパンパンに張ったお腹と脚で入院していえも点滴ばかりで、腕はあざだらけでがりがりに痩せていくおかあちゃん、でもおかあちゃんは痛いとか辛いとか弱音は吐かなかった。
その日、葉月は主治医の先生から「おかあさんは、胸にも水がたまっていて微熱も続いている、あと余命3ヶ月位だ」と告知されました。
先生は、お母さんは今とても身体が痛くて大変だと思いますが、いつも先生や看護師さんに「有り難う仕事頑張りや」て声を掛けてくれて、「先生も忙しいから身体に気をつけてよ」とか周りの人に気遣ってくれて、普通こんな辛い状態だったら看護師や主治医に弱音を吐いたり当たったりするのですが、こんな患者さんは初めてです」と先生は葉月に思いを告げた。葉月はそんなおかあちゃんを誇りに思った。
その後、葉月はどうしてもおかあちゃんを一度自宅に連れて帰りたいと先生にお願いして、熱が下がるのを待った。何日後かに熱が下がったので1日だけと言う許可を得て、兄と友達の看護師に自宅に来てもらい介護タクシーでおかあちゃんを自宅まで連れて帰った。もう、9月というのに暑い日が続いていて、介護タクシーに乗って少し窓を開ける。
外の景色を眺めながら、風にあたっているおかあちゃん葉月がおかあちゃんに「大丈夫?」て声を懸けるとおかあちゃんは「風が心地いい」と言って気持ち良さそうにしていた。自宅に到着するとおかあちゃんは嬉しそうにしていた。ガリガリに痩せて体力もないおかあちゃんは話も余り出来ず、私が言ったいる事はわかるようで「はい」と返事はしてくれる。おかあちゃんをベットに寝かして、兄と一緒におかあちゃんの身体を拭いて顔に化粧水をつけてあげた。その日の夜は、おかあちゃんが大好きな鮪を買ってきて少し食べさせてあげた。
とても、美味しいそうに食べていたおかあちゃん
翌日の昼に病院に連れて帰ったが、急に高熱が出てきておかあちゃんは、また点滴生活になってしまう。
3日後、熱がかなり高くなっておかあちゃんも苦しいそうだったので葉月は病院に泊まることにした。先生は「今日は、まだ大丈夫だから娘さんも泊まってばかりで大変だろうから帰ったら」と言われたけど、葉月は心配で帰る事も出来なかった。点滴をしているおかあちゃんの腕は痩せ細ってあざだらけで見ていてとても辛かった。
その横でソファーに寝転んで仮眠する葉月だが、その日の夜中におかあちゃんが、急に息が荒くなって看護師さんを呼んだ酸素ボンベを設置して、少し息が落ち着いたので看護師さんも大丈夫だと言うので、葉月はおかあちゃんのおでこにキスをして安心して、寝てしまった。
翌日の朝、目が覚めておかあちゃんを見ると、様子がおかしいし息をしていないようだ。慌てて看護師さんを呼んで先生に来てもらい確認してもらうが、やはり息をしていない。おかあちゃんは、安らかに天国に旅立って行った。おかあちゃんは、最後の最後まで弱音を吐かずに眠るように安らかに天国に旅立って行った。本当に、強いおかあちゃんを葉月は誇りに思った。
最後に葉月は、おかちゃんが好きだった「かあさん」のCDをかけておかあちゃんの遺体に聴かせてあげた泣き崩れている葉月。
その後看護師さんが、おかあちゃんの身体を綺麗に拭いてくれて少しお化粧をしてくれた。おかあちゃんは、とても綺麗な安らかな顔をしていた。看護師さんが全員がおかあちゃんに逢いに来てくれて、みんなが泣きながら「お母さんよく頑張ったね、そしていつも明るく声をかけてくれて有り難う」と亡くなっているおかあちゃんに声を掛けてくれた。最後は、先生や看護師さんに見送られて車で自宅に連れて帰った。無事に葬儀も終わり、泊まっていた親戚や兄も帰り、一人になった葉月は辛すぎておかあちゃん写真の前で号泣していた。数日後、葬儀をお願いしたお寺のお上人様が自宅に来られて色々話をしているなかで、お上人さんは「親の死は子供への最後の教育、お母さんはいつでもあなたを見守っているのだから悲しんでばかりいないでお母さんの御供養のためにも前を向いて生きて行くようにと」話を聞かされる。
そして、葉月は沈んでいた心がなんとか落ち着きおかあちゃんと、町医者に行っていたコースを歩きおかあちゃんとの思い出が蘇る。いつも、通っていた公園のベンチに腰かけて空を見上げる。おかあちゃんとの思い出や介護で大変だった頃色々な思い出が蘇る。
おかあちゃんのぱんぱんに張った脚をマッサージしたり手紙を
くれた訪問看護師さん、おかあちゃんの身体を拭いてくれたりとても明るくていい人でした。おかあちゃんを、いつも病院まで連れて行ってくれた介護タクシーのおじさんも、おかあちゃんを車椅子からベットまで運んでくれたりヘルパーの資格も取得されているので身体介護も手伝ってくれたのでとても心強かった。おかあちゃんをおんぶしてマンションのエレベーターまで連れて行ってくれたタクシードライバーさん、いつも明るくて元気なケアマネージャーさん、優しい病院の先生や看護師さんなど。
その時、葉月の横を車椅子に乗った老人が通る、車椅子に乗っていた頃のかあちゃんを思い出す。でも、今のかあちゃんはきっと天国で元気に自転車を乗り回しているんだろうな?とふと思った。そして兄のサイクリング自転車を乗り仕事に出かける元気の良いおかあちゃんの姿を思い出す。「かあちゃん、本当にありがとう、私はかあちゃんの事を誇りに思ってるからね」と葉月は空を見上げた。
END
いつかは、映画化したい「リサイクルかあちゃん」とても恥ずかしいのですが、私と母の半生を描いた実話物語です。少し自分の事を親孝行者のような良い人物で書いている部分もあるかも知れませんが?
その点はお許し下さい。
あらすじをアップしておきます。
これを、これから脚本にしなければいけないのですが映画化実現したいですね。
『リサイクルかあちゃん』
(あらすじ)
主人公、葉月(14歳)は中学3年生、学校ではバスケットボール部に所属していて、 活発な女の子です。
葉月の母陽子(51歳)は、葉月を30歳後半で出産したこともあり50歳過ぎていたが、明るくて働き者で男まさりな大阪のおばちゃんです。
大学生で兄の真一(22歳)が、乗っていた男性用前かがみギア付きサイクリング車が、サビ付いてボロボロになり乗れなくなった為、新品自転車に乗り換えた。
ある日真一が、そのサイクリング車を大型ゴミに出している。
それを見つけたおかあちゃんは、「もったいない私が乗る」と言って、
錆付いた男性用サイクリング車を「ほら、まだ乗れるやん」と自慢げに乗ってみせた。
翌日前かがみで、競輪選手みたいに自転車に乗り仕事に出かけるおかあちゃんは、 男勝りで近所でも有名人。
また、葉月が捨てた穴のあいた洋服もおかあちゃんがつぎはぎはぎして着るなど、戦争を経験したおかあちゃんは、物を大切にする事を子供達に教えてくれた。
おかあちゃんとは反対で、おとなしくて繊細なおとうちゃん朝夫(56歳)は、
木登りが苦手なため、おかあちゃんがいつも木に登り庭の木を綺麗に切っていました。
その下で切った木の枝を拾いゴミ袋に入れるおとうちゃん。
だが、思春期を迎えた葉月はそんな男勝りなおかあちゃんの存在が少し恥ずかしかった。
高校に入学した葉月は特に家庭に問題はなかったのだが、不良グループに憧れ、
誘われるがまま当時、流行ったヤンキーになった。
髪は茶髪、ロングスカートを履き遊びまくりタバコ、酒、けんかなど事件を起こし おかあちゃんとおとうちゃんに、多大な迷惑をかける。
葉月が高校3年生の時、兄は大学を卒業し就職で地方に転勤になり、
葉月とおかあちゃん、おとうちゃんの3人の生活が始まる。
ある休日の朝、ヤンキーグループの友達と約束していた葉月が出かけようとした時に 「ギャャー」と大声で叫ぶおかあちゃんの声が聞こえる、
ビックリして部屋に行くとおかあちゃんが髪の毛を振り乱し消火器を振り回している。
その横で慌てふためいているおとうちゃんは、
消火器の粉が頭からかかり髪の毛も服も眼鏡も真っ白になってしまっている。
どうやらおかあちゃんが消火器につまづいてしまい噴射して止め方がわからず、 お父ちゃんと大騒ぎになって止めようとしていた様子。
出掛けようと思って派手な服を着ていた葉月にも粉が飛び散り、
3人は、粉まみれになりながら消火器を止めようとした。
真っ白になっている部屋を3人で片付けながら葉月は、
ふとおかあちゃんとおとうちゃんの姿を見て、年老いて行く両親に迷惑ばかりかけている自分の事が情けなくなって来た。
その後、葉月は少し真面目になり、高校を卒業と同時にメーカーの企業に就職する、人並みに恋をするが、男運が悪くて最悪な男とばかり出会い独身生活を送る、 優しかったおとうちゃんも、葉月の花嫁姿を見ることもなく60歳過ぎで他界してしまった。
おとうちゃんが死んでしまい寂しくて悲しい毎日だが、おかあちゃんは皆の前では、 決して泣かなかった、いつでも強いおかあちゃんは葉月の一番大切な人でした。
おかあちゃんと葉月の2人の生活が始まる、一軒家を売って心機一転
新しいマンションで2人暮らしをする。ショッピングや旅行といつも一緒で仲の良い母娘でした。
引越ししたマンションの向いにはボロボロアパートがポッンと建ってある。
おかあちゃんは、基本的に誰とでも仲良くなるのですが、そこに住んでいる一人暮らしのおじいちゃんと知り合い話をするうちに身寄りの無い独居の方で心臓が弱いことがわかる。
おかあちゃんは、そのおじいちゃんに、レトルトのお粥などを差し入れしたりとても、 気にかけていました。
蝉の鳴き声が鳴り響く暑い夏、おじいちゃんは部屋でひとり寂しく孤独死していた。
悲しみを堪えきれず泣き出すおかあちゃんに、葉月は昔は勝気だったおかあちゃんも今は、 気の弱いおばあちゃんで、自分がおかあちゃんを守らなければいけないと心に決める。
心身ともに弱くなって老いていくおかあちゃん。以前から、胆石があって取り除いた方が良いと言われいていたが、検査で胆嚢にポリープがみつかる。胆嚢ごと摘出する手術に変更になった。手術で取り除いたポリープは残念ながら悪性でステージ3と言う進行している癌でしたが、心臓も悪く肝硬変も併発しているおかあちゃんには何の治療もできず。おかあちゃんが心配するのを察してポリープは良性だと嘘をついた。その後も病院に通いCTの検査も年に一度は受けて何事もなく平穏な毎日が過ぎていく。
3年後のある朝おかあちゃんが、「葉月 、葉月」と叫んでいる声を聞いて、
目覚めて慌てて部屋を出るとおかあちゃんが、廊下で倒れていた。酷い高熱で病院に連れて行くが脚も腫上がりパンパンになっていた。病院の帰りタクシーを降りたあとおかあちゃんは、マンションの前から歩くことが出来なくなり、とても親切なタクシーのおじさんがおんぶしてマンションのエレベーターまで連れて行ってくれたが、その後かあちゃんはまったく歩けなくなってしまい。寝たきりの状態になってしまった。病院での検査の結果は、肝硬変が進行していて脚に浮腫が出来水がたまっているとの事でした。入院はせずに自宅から病院に通うことになりましたが、おかあちゃんは歩けないので在宅介護の準備に慌てて介護申請を市役所に行きケアマネージャーさんを紹介してもらいました。要介護5のおかあちゃんは、色々なプランを立ててもらい、ケアマネージャーさんも介護用品の方もとても親切だったので葉月は安心しました。
車椅子やベットなどの準備をして在宅介護の準備が整いました。
寝たきりのかあちゃんの横で寝起きをして、おしめを換えたり食事を食べさせたり、車椅子で病院に連れて行ったり、葉月は大変な毎日を送っていました。さほど裕福でもなかったので、かあちゃんは子育てをしながら寝る間もなくずっと働いて育ててくれました、親に迷惑ばかりかけて来て今しか、おかあちゃんに恩返しが出来ないと思い葉月は一人で不安な毎日を過ごしながら介護に明け暮れました。
かあちゃんも、寝ているばかりではなく歩けるようになる為に努力をしました。車椅子でデイサービスに通いそこでリハビリをしたり、自宅では葉月に手伝ってもらいながら歩行器で歩くように練習しました。おかあちゃんが起き上がれるようになったので、ベットの横にポータブルトイレを置いて葉月が手伝いながらトイレが出来るようになりましたが、おかあちゃんは、たまに高熱を出して倒れるのでまだまだ安心出来ず、常に傍にいなければいけませんでした。
1ヶ月に1度は大阪の総合病院に介護タクシーで行き、週2回は自宅近所の町医者に肝臓の注射を射ちに行きました。おかあちゃんの車椅子を押して近所の待ち医者に行く二人、いつもの道を通り、近所の人に会うとおかあちゃんはお喋りが止まらない、車椅子に乗っていてもお喋りは大好きでそんな明るいおかあちゃんは近所でも人気者でした。その後、おかあちゃんの努力もあり4ヶ月位で少しづつ歩けるようになり、年末を迎え無事に正月を迎えられました。その年の正月には、葉月と2人で京都の温泉に行き葉月に支えられながらも気持ち良さそうに温泉に入ったり、翌日には2人で初詣も行きました。手を繋いでおかあちゃんを支えながら歩く仲の良い親子だった。楽しい正月もあっという間に過ぎて桜のシーズンを迎える、いつもの町医者の病院に行く途中の公園では桜がとても綺麗だ。
葉月に支えられてゆっくり歩いているおかあちゃんも桜をみてとても嬉しそうだった。その後5月のおかあちゃんの誕生日を無事に迎える。葉月が作ったケーキのロウソクを吹き消すおかあちゃん、楽しい誕生日を迎えた。そして、母の日には葉月が制作した母に贈る歌「かあさんのCD」をプレゼントした。その歌を聴いたおかあちゃんは、「私は、世界一幸せ者だ」と泣いて喜んでくれました。
楽しい日々も束の間数日後、おかあちゃんの体調が急変した。今までは食欲もあり食べれていたのですが、食べても夜になるともどしてしまう、そんな日が続き大阪の総合病院に行く。思いがけない検査の結果は、3年前に手術をした胆嚢癌が食道に転移していると葉月に告げられまた、あと1年か半年の命だと告げられた。年に1回はCTの検査もしていたのですが、おかあちゃんの癌は臓器にしんずいして広がっていたようで検査でもわからなかったようです。
葉月は、目の前が真っ暗になり震えが止まらなくなった。ずっと2人で暮らしてきて、おかあちゃんが居ない生活なんて考えただけで気が狂いそうだ、おかあちゃんとの別れは自分の人生で一番辛く悲しいことでもあり、別れの日を考えると食事もできないし、夜も眠れなく毎日泣いてばかりいた。
東京に住んでいる兄や叔母さん友達などに、励まされて少しづつ前向きになろうと勤め、自分がしっかりしなければおかあちゃんに気付かれてしまうと意を決してわざと明るく振舞う。
おかあちゃんが最後の日まで心配なく心地よく過ごせるようにしなければと心に誓う。
おかあちゃんは、しばらく入院する事になり鼻からくだを通して胃にたまった異物を排出して、食事が出来るようになる手術をした。手術も無事終わり
その後、おかあちゃんは食事が出来るようになり、少し体力も回復したので退院する事になったが、葉月にとってはまた不安な在宅介護が始まった。
葉月は友達から聞いた癌に効果的な、野菜のゲルソンジュースをジューサーで毎朝作っておかあちゃんい飲ませたり、癌に効くという健康食品を調べて少しづつ食事に取りいれるようにした。また、一人でおかあちゃんの故郷の岡山までお墓参りに行きご先祖様におかあちゃんを助けて下さいと何度もお祈りました。
おかあちゃんには、癌の事は内緒にしながら一生懸命介護する葉月。
そんな一人で頑張っている、葉月の姿を見ていて心苦しく思った、
訪問介護の人達が、葉月に一通の励ましの手紙を送る
それを読んだ葉月の目に一筋の涙が零れ落ちる・・・
手紙には、「おかあさんに癌と言う事を直向きに隠して、一人で介護をされているお嬢さんの気持ちを考えると、とても辛くて筆を取りました。気が休まる暇もないと思いますが、私達でよければいつでもご相談に乗りますのでお電話かメールを下さいね」と言う内容でした。
葉月は、色々な人に励まされて支えられている事に感謝した。癌を克服した友達からも「医者の余命宣告など気にしないで、おかあさんの生命力を信じてあげて最後まで諦めないで」と励まされた。その後、おかあちゃんは何度も入退院を繰り返し、癌は確実におかあちゃんの身体を蝕んで行った。腹水が溜まりパンパンに張ったお腹と脚で入院していえも点滴ばかりで、腕はあざだらけでがりがりに痩せていくおかあちゃん、でもおかあちゃんは痛いとか辛いとか弱音は吐かなかった。
その日、葉月は主治医の先生から「おかあさんは、胸にも水がたまっていて微熱も続いている、あと余命3ヶ月位だ」と告知されました。
先生は、お母さんは今とても身体が痛くて大変だと思いますが、いつも先生や看護師さんに「有り難う仕事頑張りや」て声を掛けてくれて、「先生も忙しいから身体に気をつけてよ」とか周りの人に気遣ってくれて、普通こんな辛い状態だったら看護師や主治医に弱音を吐いたり当たったりするのですが、こんな患者さんは初めてです」と先生は葉月に思いを告げた。葉月はそんなおかあちゃんを誇りに思った。
その後、葉月はどうしてもおかあちゃんを一度自宅に連れて帰りたいと先生にお願いして、熱が下がるのを待った。何日後かに熱が下がったので1日だけと言う許可を得て、兄と友達の看護師に自宅に来てもらい介護タクシーでおかあちゃんを自宅まで連れて帰った。もう、9月というのに暑い日が続いていて、介護タクシーに乗って少し窓を開ける。
外の景色を眺めながら、風にあたっているおかあちゃん葉月がおかあちゃんに「大丈夫?」て声を懸けるとおかあちゃんは「風が心地いい」と言って気持ち良さそうにしていた。自宅に到着するとおかあちゃんは嬉しそうにしていた。ガリガリに痩せて体力もないおかあちゃんは話も余り出来ず、私が言ったいる事はわかるようで「はい」と返事はしてくれる。おかあちゃんをベットに寝かして、兄と一緒におかあちゃんの身体を拭いて顔に化粧水をつけてあげた。その日の夜は、おかあちゃんが大好きな鮪を買ってきて少し食べさせてあげた。
とても、美味しいそうに食べていたおかあちゃん
翌日の昼に病院に連れて帰ったが、急に高熱が出てきておかあちゃんは、また点滴生活になってしまう。
3日後、熱がかなり高くなっておかあちゃんも苦しいそうだったので葉月は病院に泊まることにした。先生は「今日は、まだ大丈夫だから娘さんも泊まってばかりで大変だろうから帰ったら」と言われたけど、葉月は心配で帰る事も出来なかった。点滴をしているおかあちゃんの腕は痩せ細ってあざだらけで見ていてとても辛かった。
その横でソファーに寝転んで仮眠する葉月だが、その日の夜中におかあちゃんが、急に息が荒くなって看護師さんを呼んだ酸素ボンベを設置して、少し息が落ち着いたので看護師さんも大丈夫だと言うので、葉月はおかあちゃんのおでこにキスをして安心して、寝てしまった。
翌日の朝、目が覚めておかあちゃんを見ると、様子がおかしいし息をしていないようだ。慌てて看護師さんを呼んで先生に来てもらい確認してもらうが、やはり息をしていない。おかあちゃんは、安らかに天国に旅立って行った。おかあちゃんは、最後の最後まで弱音を吐かずに眠るように安らかに天国に旅立って行った。本当に、強いおかあちゃんを葉月は誇りに思った。
最後に葉月は、おかちゃんが好きだった「かあさん」のCDをかけておかあちゃんの遺体に聴かせてあげた泣き崩れている葉月。
その後看護師さんが、おかあちゃんの身体を綺麗に拭いてくれて少しお化粧をしてくれた。おかあちゃんは、とても綺麗な安らかな顔をしていた。看護師さんが全員がおかあちゃんに逢いに来てくれて、みんなが泣きながら「お母さんよく頑張ったね、そしていつも明るく声をかけてくれて有り難う」と亡くなっているおかあちゃんに声を掛けてくれた。最後は、先生や看護師さんに見送られて車で自宅に連れて帰った。無事に葬儀も終わり、泊まっていた親戚や兄も帰り、一人になった葉月は辛すぎておかあちゃん写真の前で号泣していた。数日後、葬儀をお願いしたお寺のお上人様が自宅に来られて色々話をしているなかで、お上人さんは「親の死は子供への最後の教育、お母さんはいつでもあなたを見守っているのだから悲しんでばかりいないでお母さんの御供養のためにも前を向いて生きて行くようにと」話を聞かされる。
そして、葉月は沈んでいた心がなんとか落ち着きおかあちゃんと、町医者に行っていたコースを歩きおかあちゃんとの思い出が蘇る。いつも、通っていた公園のベンチに腰かけて空を見上げる。おかあちゃんとの思い出や介護で大変だった頃色々な思い出が蘇る。
おかあちゃんのぱんぱんに張った脚をマッサージしたり手紙を
くれた訪問看護師さん、おかあちゃんの身体を拭いてくれたりとても明るくていい人でした。おかあちゃんを、いつも病院まで連れて行ってくれた介護タクシーのおじさんも、おかあちゃんを車椅子からベットまで運んでくれたりヘルパーの資格も取得されているので身体介護も手伝ってくれたのでとても心強かった。おかあちゃんをおんぶしてマンションのエレベーターまで連れて行ってくれたタクシードライバーさん、いつも明るくて元気なケアマネージャーさん、優しい病院の先生や看護師さんなど。
その時、葉月の横を車椅子に乗った老人が通る、車椅子に乗っていた頃のかあちゃんを思い出す。でも、今のかあちゃんはきっと天国で元気に自転車を乗り回しているんだろうな?とふと思った。そして兄のサイクリング自転車を乗り仕事に出かける元気の良いおかあちゃんの姿を思い出す。「かあちゃん、本当にありがとう、私はかあちゃんの事を誇りに思ってるからね」と葉月は空を見上げた。
END
2011年04月06日
2011年04月05日
映画「あした天使になあれ」主演女優阿比留ちゃん&葉七はなこ(HANAKO)
(阿比留ちゃんとHANAKOのツーショット)

先月、映画「あした天使になあれ」の主演女優阿比留夕貴さんの公演を見に行きました。浅草を盛り上げる為にアミューズの会長さんが直々に演出されている昭和歌謡「エノケン&笠置シヅ子のヒットソングレヴュー」公演です。流石に歌も踊りも素晴しくて久しぶりに感動しました。阿比留ちゃんは、抜群の踊りで観客を魅了していました。空中回転や側転など激しいダンスも披露してくれあっと言う間に楽しい時間が過ぎました。皆さんも是非御覧下さい。
虎姫一座の情報
http://www.aska-theater.com/index.html

先月、映画「あした天使になあれ」の主演女優阿比留夕貴さんの公演を見に行きました。浅草を盛り上げる為にアミューズの会長さんが直々に演出されている昭和歌謡「エノケン&笠置シヅ子のヒットソングレヴュー」公演です。流石に歌も踊りも素晴しくて久しぶりに感動しました。阿比留ちゃんは、抜群の踊りで観客を魅了していました。空中回転や側転など激しいダンスも披露してくれあっと言う間に楽しい時間が過ぎました。皆さんも是非御覧下さい。
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2008年12月27日
映画のエンディングソング歌います
数々の賞を受賞され、現在活躍中の映画監督さんの
次回作品エンディングソングを歌わせてもらう予定になりました。
尊敬する、監督さんの作品で
エンディングソング唄えるなんて
とても感激で嬉しいです(涙)(涙)
映画の撮影は来年ですが、この映画のシナリオを
読ませて頂きとても感動しました。
この、映画は大阪の町を舞台にした映画で
人と人との触れ合いを描いた物語
笑いあり、涙あり、恋愛ありの
感動作で年齢関係なく楽しめる映画です
不況続きで暗い事件ばかりの世の中で
この映画はきっと見た人々に
勇気と感動と希望を与えてくれるはず
有名なお笑い芸人さんも出演するかもです?
私も、これからボイストレーニングをしてこの素晴らしい映画に
ふさわしい歌が唄えるようにしたいと思います。
映画が完成した際には、全国ミニシアターで上映されます
また報告しますので是非是非皆さん劇場にお運び下さい。
次回作品エンディングソングを歌わせてもらう予定になりました。
尊敬する、監督さんの作品で
エンディングソング唄えるなんて
とても感激で嬉しいです(涙)(涙)
映画の撮影は来年ですが、この映画のシナリオを
読ませて頂きとても感動しました。
この、映画は大阪の町を舞台にした映画で
人と人との触れ合いを描いた物語
笑いあり、涙あり、恋愛ありの
感動作で年齢関係なく楽しめる映画です
不況続きで暗い事件ばかりの世の中で
この映画はきっと見た人々に
勇気と感動と希望を与えてくれるはず
有名なお笑い芸人さんも出演するかもです?
私も、これからボイストレーニングをしてこの素晴らしい映画に
ふさわしい歌が唄えるようにしたいと思います。
映画が完成した際には、全国ミニシアターで上映されます
また報告しますので是非是非皆さん劇場にお運び下さい。
